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植木夫妻の家づくり日記 後編 「国分さん、パソコンと格闘!」

2011年12月22日 8:31 PM カテゴリ: 植木夫妻の家づくり日記(施工〜竣工後編)

横浜在住のご夫婦。将来は地方に移住しようと思い、福島市内に家を建てることになりました。
できるだけ無垢に近い木材や珪藻土などの自然素材を使って家を建てようと、いろいろ苦労しています。
―現在、植木夫妻の家づくり日記 後編(三郷の家 完成後の暮らしぶり)を掲載中―

                         *

「 9月 国分さん、パソコンと格闘! 」

■国分さんがパソコンをに挑戦
 国分さんが、ついにパソコンに挑戦することになった。田口さんに手伝ってもらって、光ファイバーを接続しパソコンを設定したそうだ。「でも、メールやインターネットの使い方がわからないし、はがきや書類の作成の仕方も少し教えて欲しい」とのことなので、今回は、国分さんのパソコン習得のお手伝いをすることになった。
 日程は9月9日~11日の3日間。9月9日(金)の早朝に出発、9時半過ぎに美郷に到着した。まずは、雑草でボウボウになった庭の草刈りを行った。そして午後、国分さん宅に向かう。国分さん宅を訪ねたのはパソコンの操作の手助けをすると約束したからでもあるが、預けてあった浪江町の高橋さんの軽トラックの車検の日を確認するためでもあった。
 到着して確認すると、軽トラの車検は9月25日となっていた。その後は、早速、パソコンのメールの設定を行った。私はパソコンはあまり得意ではないので、妻が設定を行った。
 メールの次は、「中学校の同窓会の案内状」作成に挑戦するという国分さん。かなり意欲的だ。アスパラガスの方はもう終わり。今年は、原発による放射能の影響や天候不順もあって、アスパラの栽培もいまひとつだった。はたして来年はどうなるのだろう。敷地内の放射能汚染が気になる。

    稲も警戒区域以外の福島県内は作付行われたが、放射線量が比較的高い福島・郡山・二本松・本宮あたりは不安がかなり残る。来月は収穫だが、大丈夫なのだろうか?不安だ。国分さんも不安なようで、今年の米は二本松地区以外のものにしたいと、私たちが頼んでいる田島の農家から少々買うことになっている。最後に犬のさくらと遊び、帰る前にくりとかぼちゃをいただいた。
 翌10日、午前中は薪割に励み、午後は国分さん宅へ。敷地内の草刈を少しし、昨日のつづきでパソコンの設定を行った。でも妻もよくわからないところもあったので、サービスセンターに相談しつつ、なんとかアドレスを設定し、メールが使えるようになった。
 敷地内のひまわりは終わっていて、もう秋の気配がただよいはじめていた。

■放射能の問題  

それにしても、放射能の問題は福島に重く暗くのしかかってきている。子育て支援をしている妻は、美郷の分譲地で子供が遊ぶ姿が見れなくなっているのをしきりに気にし始めた。「このままでは、子供が可愛そうだ。子供たちのために何かしたい」と、そうした活動があれば、参加したいとも言い始めた。
 私も、福島の農家や人たちのために何かできることはないかと思い始めた…。

次回「10月 会津の新米を買う!」

植木夫妻の家づくり日記 後編 「農家民宿「だんだん」を訪ねる」

2011年11月10日 4:12 PM カテゴリ: 植木夫妻の家づくり日記(施工〜竣工後編)
'11 8月農家民宿「だんだん」を訪ねる

■天候不順の夏
今年の夏は猛暑であったたが、雨も多く、私たち夫婦が福島に行った時はなぜか雨の日にあたってしまった。
8月はお盆は妻が母方の実家があった新潟に行き、福島は20日~24日に行くことになった。
 19日の夜、仕事の後出発し、夜半に福島に到着した。


 20日の早朝、早速、庭の草刈を始める。妻は台所脇の収納庫の食器を整理するためのスチール棚を設置し、雑貨を整理するためのファックス台を置いたり、2階の個室の窓に目隠しのための飾りを置いたりして、家の中の整理をしていた。
 草刈り後は、ちょっとランニングをし、午後は国分さんの畑の草刈にせいをだした

 

 アスパラには放射能は検出されなかったが、雑草には放射物質が付着しているので、刈った草は一か所にまとめておく。国分さんは、「とにかく草に放射能を吸わすしかないかな」とつぶやく。本当に今回の原発事故こそが、「行き場のない怒り」そのものだと思った。
 21日は雨だった。畑での作業は無理だ。そこで、郡山のヨドバシカメラに行ってみた。LED電球と、腕時計を紛失してしまった妻に新しい腕時計を買ってあげた。
 戻る途中、本宮の直産所に寄ってみた。それと、妻の希望で「一度は行ってみたかった県立美術館」へ足を運んだ。隣の図書館の方は震災で被害にあって、一部しか使用できなかった。夕方、雨が上がってきたので、またちょっとランニング。9月に行く「箱根の山登り」の道を走るためにも、走り込んでおかなければと思ったからだ。

■農家民宿「だんだん」、石原さんを訪ねる
 22日は小雨の降る朝となった。畑は無理なので薪置き場作りにせいを出す。途中で材料を買いにでることになったが、妻の思いつきもあって、本宮の農家民宿「だんだん」を訪ねた。

民宿を経営するのは石原さんという年配の女性で、以前に「夢未来塾」のイベントに参加して知り合いになった。
 その時に、「そのうちいらしてください」と民宿の案内をいただいていたのだった。
4号線の本宮インターに入るあたりから東にしばらく車を走らせる。お寺の近くに農家民宿はあったのだが、ちょっと分かり辛くて探してしまった。
 突然の訪問だったのに、石原さんは笑顔で出迎えてくれた。民宿は家族で経営しているらしい。首都圏の学生をよく受け入れているとのこと。放射能の問題もあって、福島に行くことに反対する父兄もあるそうだが、それも夏休みともあって多くの学生が宿泊していると、楽しそうに話してくれた。
 やはり、「原発事故による作物の放射能汚染が心配だ」という話をし、またお会いすることを約束してお宅を後にした。
 帰りに薪置き場に置くブロックや物置の棚の板を購入。戻ってから物置の棚をもうひとつ作り、また妻と一緒に不完全だった薪置き場を完成させた。
 久しぶりに、浪江町の高橋さんに連絡を入れてみた。様子伺いということもあるが、借りていた軽トラの車検が来月になるので、どうするかということでもあった。高橋さんは長い避難生活で、だいぶイラだっている雰囲気だった。
 「原発や福島の被曝状況がきちんと報道されていない。本当の事を話そうとすると圧力がかかる」と憤慨していた。
 確かに、被曝した福島に対して、政府も東電も何もしない。まさに「放置状態」にある。
 それだけではない。東電の批判や原発への疑問でも投げかけても、報道はされない。規制される。これでは中国のようだ。
 以前、編集仕事をしていた妻も、「マスコミの端っこにいた人間として情けない。今のマスコミはどうしようもない」としきりに嘆いていた。
 翌13日の午前中は、国分さんは用事があるので、私は家で薪割に励んだ。そして、薪は例の薪置き場に収めた。


 午後国分さん宅におじゃまして、軽トラの車検の日を確認した後、妻の「温泉でも…」という言葉に押されて、岳温泉に行った。
 岳温泉もあまり人が来ないようだ。今年の福島はとても厳しい状況にある。それを何とかしたいというのか、通りでイベントが行われていた。
 翌24日午前中に、いつものように「道の駅あだたら」で野菜を買う。放射能汚染の影響もあって、最近この直売所の野菜がちょっと少ない。できるだけ、早く元に戻ってほしい。と、そう願いながら横浜に戻った。

 この後、国分さんはパソコンを購入したという話を聞いた。田口さんに設置をしてもらったとのこと。「でもメールなどの詳しい設定ができないので、手伝ってくれ」という連絡があった。次回はパソコンと格闘することになりそうだ。

植木夫妻の家づくり日記 後編 「薪置き場作りと「ふるさと宿」訪問」

2011年10月21日 8:18 PM カテゴリ: 植木夫妻の家づくり日記(施工〜竣工後編)

7月 薪置き場作りと「ふるさと宿」訪問

■1週間の滞在
 今回の福島は、7月27日~8月2日まで1週間もの滞在となった。
最初は、7月31日~8月2日までの3日間のみだったのだが、私が27日から1週間休みが取れ、妻も30日パートの仕事があったのだが、結局辞めてしまったので、1週間の休みが取れたからだ。
 休みが長い分、ご無沙汰していた芳賀沼製作と、福島の菅野ご夫妻宅、そして裏磐梯の「ふるさと宿」を訪ねるとい欲張りなスケジュールになった。
 最初はまず、芳賀沼製作に向かう。10時頃に針生に到着。めずらしく伸さんと話すことができた。
5月頃から仮設住宅建設でかなり忙しかったようだ。木の香りのするログの仮設は快適なのだろう。大人気だとか。同じ仮設なのに、プレハブ住宅とはえらい違いだ。
 しかも、このログ住宅は釘を使わずに木材を組んで建てているので、解体してまた組み立てられるから、終わったらゴミになるプレハブとは違って、この後貸し別荘や「クライン・ガルテン」としての活用も見込まれている。
 妻が仕事を辞めたので、時間があると話したら、伸さんから「これから避難してきた子供たちのための精神ケアのためのレクレーションなどを行う有償ボランティアの仕事もあるので、どうだろうか」という話があった。
 なんらかの形で、福島の復興に携わりたいという妻はけっこう乗り気でこの話を聞いた。
この後社長宅に挨拶に行き、社長のお母様と久しぶりに話した。またまたお土産を用意してくださり、今回は國権の大吟醸酒をいただいてしまった。このあと田島駅近くに出て、國権でさらに3本ほど酒を仕入れる。9月に行う仲間とのランニング大会での差し入れだ。
 午後は福島に向かい、災害後初めて、南福島の菅野さん夫妻のもとを訪ねた。
 少し前から体調がよくないとのことだったが、それなりにお元気そうで、震災時の話や、郵政の職場の話などいろいろ話をして、夕方失礼した。
 買い物をしながら美郷の家に到着。その日は早々に床についた。夜半激しい雨になる。この日以降、帰るまで毎日時折、激しい雨の日々となった。
 翌朝は、薪置き場作りの準備のほか、電話の取り付け、冬用のラグカーペットから夏物へ交換。コメリで薪置き場作りの材料を購入した。
 雨のせいもあるが、夏休みだというのに、子供の姿が全くない。原発による放射能の線量が高いからだ。いつもなら両隣の子どもたちが庭で遊んでいるのだが……。酷い話だ。

■原発事故と都会人の反応
 だがこういう福島の現状に対し、都会の人たちの態度は「対岸の火事」という雰囲気である。それだけでない。以前は「福島の田舎は自然が豊かで良さそうだね~。」と羨んでいたのに、今回の原発事故が起きてからは、私たちが福島に行くというと、「どうしても福島に行くの?」と、手の平を返したような冷ややかな態度だ。
 放射能被害を受けた福島を放射能で汚染されたモノのような扱いだ。
 原発がなければ、福島も地震の被害だけですんだはずだ。首都圏の電力を供している原発の事故のために、こんな目にあっているのに、その原発の電力を使っている都会の人たちの態度はあまりにも無責任な気がする。
 多分多くの都会人は、「いや、原発が福島にあるということをよく知らなかった。それに原発は安全だと言われていたから大丈夫だと思っていた。悪いのは津波対策をしなかった東電なのだ」と言い訳をするのだろう。
 しかし、知らなかったから、責任はないといえるだろうか?
  確かに東電は「原子力発電所はCO2を排出しない、クリーンで安全なエネルギーだ」とPRしてしてきた。それなら東京に原子力発電所を作ればいい。それこそ霞ヶ関や皇居付近に作ってみたらどうなだろう、しかしそうはしなかった。それは政府も原子力の専門家も「原子力発電所が危険だ」ということを認識していたからだ。
 都会の人々もその危険性にうすうす気づいていたはずだ。実際東京付近に作ろうとしたら大反対運動が起きるだろう。だから危険な原発を首都圏にに置かないようにして、それを地方におしつけた。
 しかもここ数年、「ガスよりも電気の方がCO2の排出量が少ないから、地球温暖化に優しい」という東電の宣伝文句に誘われて、オール電化がブームもあって、電力の使用量は急激の伸びてきた。
 確かに目の前で火を使うガスの方が二酸化炭素を多くだして、電気は少ないように見える。が、これは一種のごまかしで、実際はガスの熱量に相当する電力を作るには、何倍も発電しなければならない。そのため、電力需はさらに大きく跳ね上り、原発への依存度を深めえいったのだった。
 その中で起きた今回の原発事故。原発の電力を使用していない福島の人たちが放射能汚染に曝されているのに、都心では、避難の心配もないし、東京23区では停電すらない。なんか向こう岸で火事が起きていると、他人事のようなのである。
 そのくせ、食品が放射能汚染されていると知るや、ヒステリックなまで反応する。「対岸の火事」だから大丈夫だと思っていたのに、火の粉が飛んできた!といった感である。
 妻は「今までさんざん農薬まみれの野菜を食べてきて、かなりの量の農薬を体内に蓄積してしまっているのに、放射能だけに反応するのは変だね」と皮肉っている。
 「だいたい都会人の場合、作る苦労もせず、お金さえ払えばなんでも手に入ると思っているところがある。単なるモノならまだしも、自分たちの口に直接入る肉や野菜がどこで育てられているのか、よく知らないし、知ろうともしない人が大半だ。そうやって電力も食糧生産も地方に押し付けてきた。それでいて、一旦何かあると「安心・安全なモノを」と気にする。変だよ」と。
 それに「電力や食糧も供給してきた福島が放射能汚染で苦しんでいる」わけだから、その恩恵にあずかってきた都会の人間が、多少はそのリスクを一緒に背負うぐらいのことはしてもいいのに、それをしようとしない態度に、私も妻も激しい憤りを感じている。

■久しぶりの「ふるさと宿」


 今回の福島滞在では、雨が多かったので畑の仕事はほどほどしかできなかった。ただ雑草を取ることで、雑草が吸い上げた放射能が除去できればと思った。あとは棚上げになっていた「庭の薪置き場の制作」に取りかかった。物置の西側にコの字型にブロックを置いて土台を作り、そこに柱を立て、横に梁を渡す。柱の間は筋違いの木材を固定して、屋根にはポリカーネートの波型を使った。

 

 
 雨ばかりでちょっと飽きた妻から「温泉に行こう」とつつかれて、グリーンピアに行ってみた。
 また二本松市内で買い物をしている時、浪江町の高橋さんの奥さんに出会った。美郷の家に配達されていたお姉さんと甥っ子さん充ての郵便物があったので、お渡しした。いろいろ忙しそうだった。
 31日の午前中国分さん宅に寄った後、裏磐梯の「ふるさと宿」に向かった。高橋ご夫妻が変わらない笑顔で迎えてくれた。その日は、もう一組、東京からいらしたご年配夫婦のお客さんと一緒だった。


 夕飯には、国分さんの畑のアスパラも出されて、ご夫妻と高橋さんとで話が弾んだ。ご夫婦は連泊で翌朝は、雄国沼に高山植物を見に出かけられた。
 私たちは少しドライブをしながら戻った。こうしてみる限り、福島の自然は変わりなく美しいのに、原発事故ですべてを狂わされてしまった。復興まで時間はかかるだろう。
 でも、だからこそ福島を応援していきたいとも思った。

次回は「8月 薪置き場完成と、本宮の『農家民宿だんだん』を訪問」

 
 

植木夫妻の家づくり日記 後編 「梅雨の合間の草取り」

2011年7月6日 9:59 AM カテゴリ: 植木夫妻の家づくり日記(施工〜竣工後編)

6月 梅雨の合間の草取り

■軽トラックを国分さん宅に預ける
 東日本大震災が起きてから3か月経った。被災地の復興はなかなか進まない。福島第一原発に至っては、まだ危険な状態が続いている。放射能の影響は予想以上に深刻だ。浪江町は二本松市に役場機能を移転となり、美郷の家に滞在していた「高橋さん」一家は、二本松市街地の借り上げアパートに移転された。
 梅雨の雨が時折降る中、18日土曜日の夕方、妻が仕事から帰宅するのを待って福島に向かった。翌朝はよく晴れ、気温もぐんぐん上昇。そんな暑い中、恒例の庭の草刈。それと台所脇の窓と2階の北側の2つ窓に、ロール式の網戸を取り付けた。
 冷房のない家なので、夏は窓を開けっ放しで風を通して過ごす。南側の窓はすでに取り付けたが。北側もやはり必要だと感じたので、通販で割引の網戸を購入しておいたのだった。
 昼前に、高橋さんのお姉さん・佐藤さんに連絡してみる。美郷の家を出るに当たって綺麗に掃除をしていってくれたので、ひとことお礼をということで、妻の携帯から連絡をした。すると駐車場に置いてあった高橋さんの軽トラックについて、ちょっと驚いた話があった。
 高橋さんが引っ越された後、ある日軽トラック荷台に多く石が投げ入れられたというのだ。車だけでなく近隣の家の駐車場にも石が投げ入れられていた。物騒なので、気にして、軽トラックは引っ越し先に持っていったというのだ。
 昨晩到着した時、駐車場に車がなかったので、高橋さんが持っていったのだろうとは思っていたが、そんな事件があったとは考えてもみなかった。アパートの近くに置いてあるとなると駐車場代もかかるだろうと、軽トラックは、できたら国分さんの所で預かってもらえるよう交渉してみることにした。


 早速、午後国分さん宅に伺う。畑の草取りを手伝う。それと先月、U字溝を入れた湧水のところを見てみたら、コンクリートの管が埋め込んであった。今度ここ水が出るようなポンプを付けるという。そうすれば、きれいな水がどんどんでてくるというわけだ。ちょっと楽しみである。


 ひと作業をした後、軽トラックの件を国分さんに話してみたら、快く引き受けてくれた。早速、佐藤さんに連絡を取ると、軽トラックを持ってきてくれるという。下長折までは大変なので、安達が原の「ふるさと村」で待ち合わることにした。夕方、佐藤さんと妹さんの高橋さんとで、軽トラを持ってきてくれた。

 久しぶりに挨拶をし、「ご主人によろしく伝えてください」と言って別れた。国分さん宅に戻り、敷地内の空き地に軽トラを止めてもらう。これで薪と薪置き場を作るための木材を積んで持って行ける。翌日の午後、また訪れることを国分さんに約束して、美郷に戻った。さすがに昨日夜半についてから、1日動きっぱなしだったので、夕食を終えるとバタンキューという感じで寝てしまった。

■電話工事と大平仮設住宅の見学
 翌日の午前中は、NTTが電話の取り付け工事に来た。妻の母方の実家━━新潟の空き家にあって休眠状態にしてあった「電話」を、そろそろ期限切れになることもあって、美郷に引っ越しさせ、取り付けることにしたからだ。
 9時頃、NTTの人が来る。家の中に入ってきた年長の設備工事の人が柱を見て「これはすごい!! これだけの柱、手に入らないでしょう」と驚いていた。1時間ほどで工事は完了した。あとは電話機を付ければOKだ。
 工事をしてい間、私は物置の脇に薪置き場を作るための目印の杭を打っておいた。
 昼食は、「安達が原のふるさと村」のレストランに行ってみることにした。4月末からここのレストランはリニューアルされており、地元の野菜を地元の主婦たちが料理し、ビュッフェ方式でいただくものだという。以前のレストランは定食屋のようなもので、内容もイマイチだったで、どんな風に変わったのか、ちょっと興味があったからだ。

 
 値段1250円。ちょっと高めだが、食べ放題ということならこの価格でもいいだろう。味もまあまあ美味しい。トマトのゼリーがちょっと珍しくて人気だった。夜も予約なら受け付けるという。ただ野菜が中心のヘルシーなもの。郷土料理が中心だが、パスタやサラダなど女性や若年層も意識したものとなっている。ただ野菜だけなので、ヘルシーすぎる感もある。麺や肉とうまく組み合わせてボリュームのあるものにしたり、野菜の調理の仕方も工夫したらもっといいだろう。メニューの種類ももう少し増やし、旬の野菜を飽きないように提供すれば、せばリピーターが増えると思った。、
 昼食後、国分さん宅に向かう途中、大平公園の仮設住宅の現場に立ち寄ってみた。芳賀沼製作のHPで、見ていたのでログの仮設住宅ってどんなものだろう気になっていたからだ。残念ながら現場には、芳賀沼製作の方たちは居なかったが、仮設住宅を少しのぞいてみた。

 
 内装工事にかかっているところだったが、ちょっと拝見してみた。壁は木材が井桁に組んである。これなら、よくあるプレハブ住宅のように「夏の暑く、冬の寒い」ということも少なく、「仮設住宅でも快適かも」と思った。


 国分さん宅に行ってみると、庭のさつきの剪定をしていた。それを少し手伝った後、今度は震災で崩れてしまった石灯篭を直す。けっこう大きい石なので、ユンボウにワイヤーを付けて吊り下げて、元の位置に戻す。その後は、アスパラ畑の雑草むしり、庭の雑草取りも行った。

■放射能の影響が……
 雑草取りをしながら、国分さんと原発のことや野菜の話をする。数日前に、国分さんは東和地区の関さんと会って、飲みにいったという。同じ二本松市地域の有機農業者として交流をしているようだ。こうした農家の方たちが集まって、いい野菜作りの輪が広がるのは素晴らしいことだと思う。
 そしてまた原発の話題も出た。実はこの二本松地域も場所によって放射線濃度が高く、浪江町から避難してきた人の放射線剣先で図ってみたら、さくらの犬小屋のあたりの放射能数値がけっこう高かったのにショックを受けたとのこと。原発事故の影響の深刻さを改めて認識した。
 「しばらくは、原発周辺の地域の土地は使えないだろうから、そこに太陽光パネルを敷き詰めて発電し、それを東電に売って、福島の復興の資金にしたらどうかという案も出たんだよ」と言う国分さんの話に、私たちは大賛成をした。
 とにかく、できるだけ早いうちに「第一原発の事故処理が終える」ことを願うばかりだ。
 帰り際に、紅葉の苗木をもらった。翌朝、それを庭に植えた。はたして木になるだろうか?そして、いつものように掃除をし、「道の駅 あだたら」で買い物をして帰路についた。

 来月は、ちょっと芳賀沼製作に夏のご挨拶に行き、久しぶりに「ふるさと宿」に泊まることにした。また、南福島の菅野さん宅にも暑中見舞いに伺おうと思う。そして、なかなか出来なかっった薪置き場も作りに取りかからねば……。
 けっこう予定がいっぱいで忙しくなりそうだ。

植木夫妻の家づくり日記 後編 「テレビ台の制作依頼 浪江町からの家族との出会い」

2011年5月9日 8:42 AM カテゴリ: 植木夫妻の家づくり日記(施工〜竣工後編)

4月 テレビ台の制作依頼 浪江町からの家族との出会い

■テレビ台の製作依頼

 美郷の家を浪江町の家族の方たちに貸してから2週間近く経ち、やっと福島に行くこととなった。2か月ぶりだ。今回はまず芳賀沼製作を訪ねた。美郷の家にも地デジ対応のテレビをいよいよ設置することにし、取り付けは星さんに、テレビを載せる台は湯田さんに制作してもらうことにしたからだ。そのため、アンテナとテレビは私たちで今月購入した。

 それとは別に、芳賀沼製作で、震災後の様子も聞きたかったこともある。最初に社長宅に立ち寄り、久しぶりに社長のお母様に挨拶をした。その後、作業場で湯田さんに会ってテレビ台の大きさを指定した。事務所の方にも挨拶をすませた後、はりゅうウッドスタジオの滑田さんと会った。
 滑田さんも忙しそうで、「これから、避難者向けの仮設住宅建築のためにスタジオも協力することになった」とのこと。郡山と三春に4000棟を建設する予定で、これから急いで設計に入るそうだ。家を無くした被災者のためにも頑張ってほしい。
 お昼は田島駅前の柏屋で蕎麦を食べて、会津若松に向かった。 (続きを読む…)

植木夫妻の家づくり日記 後編 「東北大地震と原発事故」

2011年4月7日 8:22 AM カテゴリ: 植木夫妻の家づくり日記(施工〜竣工後編)

東北大地震と原発事故

 未曽有の大災害となりました。死者・行方不明者が3万人を超え、さらに多数の避難者が、避難先を求めて現在も移動し続けているニュースが毎日のように報じられています。
 津波・原発の影響で被害を受けた浜通りの自治体のほとんどが、福島県内のほかの市町村に役所機能を移動したとのこと。
 会津にも多くの自治体が本部を移し、芳賀沼製作でも被災された方を受け入れる体制を整えていると、伸さんから聞きました。
 私たちも、「被災された方に何か応援できれば」と思い、美郷ガーデンシティイの自治会の理事長さんに連絡をとってみました。そして、私たちの家を避難された方に提供したいと申し出たところ、早速数日後、「知り合いの浪江町の人を受け入れていただけないか」と電話がありました。
 浪江町の役場が隣の二本松市東和地区に移設されたこともあって、二本松市・福島市に多くの浪江町の方たちが避難されているらしいのです。
 私たちも月一度しか福島に行くことができない状況の中で、福島の人たちに何とか支援できないかと思っていたので、しばらく家をお貸しすることに決めました。
 ただ地震後、私たちも家に行っていないので、まずは家の鍵を理事長さんにを送り、中を確認していただきました。
 内部は、ひな人形が少しズッコケていたのと棚の上の不安定なものが2、3個倒れたり、落ちていただけで、ほとんど問題はありませんでした。あの横浜の社宅の家でもかなり揺れたのに、これだけで済んだなんて……。改めて、芳賀沼の家の強さを確認しました。
 紹介されて私たちの家に早速入った避難者の方たちは、「こんなに良い家を借りていいのですか?」と恐縮して、連絡してきました。
 「私たちが月に一度行く時、そちらに一緒に泊まることになりますが、それでいいのなら」という条件で、しばらくこの方たちに住んでいただくことになりました。
 今月は、22日に福島に行く予定です。その時に、その方たちと今回の事故についてお話できるでしょう。
 大地震という思いもかけない災害から、また思いもかけない方たちと知り合うことになりました。浪江町の方々とのお話は、日誌で今後掲載していきます。私たちの……芳賀沼製作の家が、被災された方たちを少しでも癒せればと願っております。
 ふるさと

次回は、「地デジアンテナ設置の依頼と、浪江町の方との出会い」

植木夫妻の家づくり日記 後編 「2月 国分さん美郷の家に来る」

2011年3月28日 11:25 AM カテゴリ: 植木夫妻の家づくり日記(施工〜竣工後編)

2月 国分さん美郷の家に来る

■国分さん夫婦、美郷の家を見学

 1月の末、ついに新車が来た。アイドリングストップができるダイハツから発売されたばかりの「ムーヴ」だ。
 発進する時、ちょっと車が飛び出すのが気になったが、高速を走っていても前のものよりも振動も少なくて、乗り心地はいい。
 2月に入って国分さんに連絡をしてみたら、「夫婦で美郷の家を訪ねたいのだが……」と言われた。古民家を解体した跡地に、ゲストハウスのような小さな家を建てたいので、参考に見学したいとのことだった。
 奥さんが特に、木をできるだけ使った家にしたいという要望があるようで、18日の早朝に美郷に行くと伝えると、「その午前中に訪ねます」とのこと。先月約束したスタットレスタイヤも引き取ってくれるという。
 18日4時半に出発し、9時過ぎに美郷に到着。早速国分さんに電話連絡すると、10時半過ぎに奥さんとともに軽トラで訪れた。夫妻で家の中を見てまわる。奥さんは無垢材が気に入ったらしく、しきりに「ウチもできるだけ無垢板を使いたい」と言っていた。見学後は、タイヤを軽トラに積み込む。
 今回は特に畑の仕事はないのだが、「今日は敷地内にあるテレビアンテナを少し移動しようとしている」と言うで、午後にお宅に伺うことにした。
 昼食は「やまろくそば」で取り、道の駅で野菜を見た後は、コメリで妻が欲しがっていた「洗濯物干し」を見てみる。
 国分さんの家に到着すると、以前古民家と繋がって建っていた「古い家」がすべて解体されていた。そのすぐ後ろの小山の上にアンテナがあり、それを少し移動しようとしていた。
 私たち夫婦と国分さん夫婦合わせて4人で、アンテナの位置を移動する。
 作業を終えた後は、国分さん夫妻は「ゲストハウス」を建てる敷地に立ち、新しい家の概要を描いてみてくれた。平屋だが、リビング部分は私たちの家のように天井高にしたいという。そこで、私は「片流れの屋根」の家を提案してみた。
 以前、訪ねた東海村の河野さん宅を思い出したからだ。リビングのあるところの屋根を高くし、他の部屋の高さを低くして片流れの屋根するというものだ。
 敷地の上で、ああでもないこうでもないと、家のプランを話したが、面白かったのは国分さん夫婦の意見の相違った。
 奥さんは「リビングは天井は高くして、木をふんだんに使いたい」と思いれはすごいのだが、国分さんは「でも予算もあるし……」と、けっこう現実的。私たち夫婦も性格の違いから、いろいろ揉めたので、二人のやり取りを笑いながら見守った。
 最後に国分さんたちの参考になればと思って、芳賀沼製作で貰った「施工した家」の写真集を送ることを約束した。
 新しい家のプランで盛り上がっているうちに日が暮れてきたので、帰り支度を始める。国分さんから「アンテナ移設のお礼」にと、二本松の酒「大七」と畑のねぎをいただいて、家に戻った。

■黒沼神社の神主さんから、薪を頂くことに……
 翌朝は、妻がお雛様を出して飾りだした。古いお雛様は、いくつか道具が破損したりもしているので、一部補修をしながら飾った。後になって、妻はお内裏様とお雛様を逆に置いてしまったことに気づいた。関東では向かって左がお内裏様なのだが、妻は「京都風」にお雛様を左に置いてしまった。
 雛飾りを終えて、私たちは黒沼神社へ、1月に神棚に飾った「お札」を納めに向かった。神主の半沢さんが笑顔で迎えてくれて、しばらく雑談をした、半沢さんは宮司の仕事の他に家の前の畑も耕していて、その話も出た。そうすると、ふと思い出したように、私たちに「間伐した木材がおいてあるのだが、お宅の薪ストーブ用に持っていかないか」といいだし、お宅の裏に積んである木材まで案内してくれて、「いつでも積んで行ってもいい」と言ってくれた。ありがたい。おまけに、大根までもいただいた。

 
 ひとしきり話した後は、福島市内に向かった。昨日福島市内のタウン誌で見つけた寿司屋のサービスランチを食べに行こうと決めていたからだった。その寿司屋や「鮨鉄」といって福島の東口付近・日銀の福島支店近くにある。情報誌を見てきた人が多く、店は大混雑だった。ちょっと待たされたが、味はまあまあだった。


 その後は「東京インテリア」で、リビングのテーブルの下に敷くカーペットラグを見てみた。今敷いているのは、間に合わせの安いラグなので、もう少し良いしっかりしたものにしたかったからだ。今回は見るだけにして、次回に購入することにした。
 その後は、昨日妻が目をつけていた「洗濯物干し」をコメリで購入、夕食の材料も買って、いったん家に戻ってから、午前中伺った黒沼神社へ薪を少し頂きに行った。残りは次回来た時に、国分さんの軽トラでも借りていくことを半沢さんと約束して家路についた。
 最後の日は、夕方私が横浜で用事があったので、早く福島を出発した。
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さて、次回は、いよいよ地デジテレビを入れるので、「地デジアンテナとテレビの台の製作依頼のため、芳賀沼製作にまず向かう予定」だったのだが……。
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 その大地震は、福島に行く予定の1週間前に起きた。妻は横浜駅の地下街で呑気に買い物をしていて、一時、地下街はパニック状態だったという。もちろん携帯はすぐにつながらなくなった。すべての交通機関がマヒ状態に陥り、妻も帰宅にかなりの時間を要したそうだが、無事に帰宅した。私は電車がストップしていたので、ジョギングで家に戻った。
 自宅についてからテレビのニュースを見て、あまりの惨状に唖然とした。すぐに福島の家が気になったが、混乱して電話もつながらない。ただ、福島市内は沿岸部ほどの被害がないので、大丈夫だろうと願うだけだった……。
 3日ほど経って、美郷の販売センターと連絡がついたので、問い合わせみたら分譲地内の家屋の損傷はないという。ただ水道管がやられて断水状態が続いているということだった。
 とにかく家そのものの破損はないので、ほっとした。しかし、高速道も通行止め、ガソリンも不足の状態のため今月の福島行きは見送った。しばらくして伸さんや湯田工場長に連絡がついたので、聞いてみると、芳賀沼製作所の社員は施工した家の点検・修理に駆けずり回っているとのこと。芳賀沼製作の家はしっかりとしているので、被害は少ないようだが、それでも大変だろう。
 今福島は、「地震と原発の爆発」で、大変な状況である。何かできることがないのか、夫婦二人で考えながら毎日を過ごしている……。
 ○追記:被災された方々に、お見舞い申し上げます。
 私たちは横浜に居て、何もできませんが、お知り合いで避難生活を送られて大変な方がいらっしゃいましたら、美郷の家を借り住まいとして提供したいと思いますので、お申し出下さい。

植木夫妻の家づくり日記 後編 「1月 神主さん来る!&国分さんの畑で焚火パーティー」

2011年3月3日 2:34 PM カテゴリ: 植木夫妻の家づくり日記(施工〜竣工後編)

1月 神主さん来る!&国分さんの畑で焚火パーティー

■黒沼神社の神主さん来る!
 12月に福島に来た時はさほど寒さは厳しくなかったが、年末に「大寒波」が訪れた。東和地区に移住した関元弘さんのブログに、「カマキリが昨年より数十センチも高いところに卵を産んだ。この冬は寒いだろう」と予言した通りの厳冬となった。
 会津では急な積雪で車が2日間立ち往生をするなど、各地で豪雪を記録した。
 中通りはさすがに積雪はあまりなかったようだが、1月20日の夜半、福島に到着すると道路脇には雪が積もり、家の庭と駐車場も真っ白だった。玄関までのアプローチの雪を踏みながら家に入る。家の中は冷え切っていて、ストーブを点けても中々暖まらない。その夜はかなり寒い思いをしてふとんにもぐり混んだ。
 翌朝もかなり冷え込み、布団の中でも寒さが感じられるくらいだで、起きると薪ストーブをガンガン燃やした。朝食を終えると、年越しの課題となった神棚のお札の件について、さっそく松川町金沢の黒沼神社に連絡をとり、購入をしに出かけた。社務所を訪ねると、宮司の半沢さんという方が不思議そうな顔をして出迎えてくれた。
 神棚を設置したことをお話しすると、社務所に招き入れてくれて、「年始のお参りもなだなら、できたら祝詞をあげた方がいい」とアドバイスをいただき、午前中宮司さんの予定が空いているので、私たちの家まで来てくれこととなった。
 黒沼神社はけっこう由緒ある古い神社で、拝殿や覆屋などの建物も趣がある。
 特にこの神社を有名にしているのが「金沢 羽山ごもり」の神事だ。これは東北地方によくみられる山間部の「羽山信仰」を取り入れ、厳しい修練行事を行い、農耕の五穀豊穣を願った行事だとか。
 12月の下旬に、厳冬の中、数十人の男性が家族と離れ、「こもりや」に籠る。朝夕に「しめ井戸」で水垢離をとり身体を清め、一日二食の別火生活を送る。
 最後の日、真夜中に羽山に登り、五穀の吉凶から一年間の気象、災難等々を占う神事。千数百年の間、農民が神の託宣により予知行事をおこなう祭事として、原形に近い様式で伝承されており、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。けっこう遠方から見学しにくる人も多い。
 そうした由緒ある神社の宮司に祝詞をあげていただくのも、いいと思い急遽、お祓いをお願いした。
 お酒と祝儀袋を購入していったん家の戻り、改めて神主さんを迎えに行き、美郷の家に来ていただいた。
 神棚の前にテーブルを置き、三方に野菜・米・塩・昆布・酒・水・果物(みかん)のお供物を載せて供えた。

 
神主さんが祝詞をあげ、私たちも玉串を献ずる。神棚には榊をあげ、大国主神・言代神と、年神様を祭り、神棚の三社のうち真ん中にお伊勢様を、右に氏神の黒沼神社の札を納めて儀式は終了した。私たち夫婦は信心深いわけではないが、こうした儀式を行うと、なんとな厳粛な気持ちになるから不思議だ。

  
 その後、神主さんが家の各部屋にお浄めの塩をまいて廻った。2階に昇り、柱や梁を見た神主さんは、思わず「いい家を建てられましたね」と感嘆の声をあげた。
 薪ストーブにも深く関心を持たれたようだ、家に関しても私たちと同じような考え方をもっていらっしゃるようで、自然や環境にも詳しく博識な方だという印象だった。

■竹を使った焚火パーティー
 午後、買い物をで出かけ、国分さん宅に立ち寄ってみると、ちょうと竹林で竹の間伐を行っていたところだった。時間もあったので、伐採を手伝うこととなった。伐採した竹は竹チップにして竹林に撒く。淡いグリーンの絨毯を敷きつめたようにきれいになった。

 翌日は国分さんの畑で、「夢未来塾」のイベントが開催された。田口さんを中心に。夢未来塾の会員で、国分さんの畑に花を種を撒いて花畑を制作する「すまいるりーす」活動をされている片平さんをはじめ、活動を応援している地元の方たちや福島大の学生など多彩な人たちが20人ほど集まった。
 時折風花の粉雪が散る寒さの中、焚火を炊きながら竹筒でご飯を炊き、酒を温め、また焚火を利用しての「ローストチキン」や「鯛の塩釜焼き」などの、かなり豪勢なアウトドア料理を参加者全員で楽しんだ。
 イベント後、時間のある人たちが片平さん宅に向かい、お互いを紹介しあい、お茶を飲みながら親交を深める。けっこうユニークな人もいて面白い会合となった。この時、妻の隣に座った福島大でボランティア活動をしている女子学生菅野愛さんから後日、メールをもらう。「また国分さんの畑で会おう」ということになった。地元の福島大生と交流もいいかもしれない。


                        *
 実は1月に入って、9年目の軽自動車がついに調子がおかしくなり、車を買い替えること……。次回、福島に来るときは新しい車になるのだが、前に使っていたスタッドレスのタイヤを国分さんに譲ることにした。
 はたして2月はどれくらいの寒さなのだろうか。

植木夫妻の家づくり日記 後編 「12月 年末大掃除」

2011年2月14日 1:09 PM カテゴリ: 植木夫妻の家づくり日記(施工〜竣工後編)
12月 年末大掃除
 
 早いものでもう12月。郵便局のかきいれどきとなるので、今年も月初めに大掃除をかねて福島に行く。妻の仕事の休暇がうまく取れなく、2日間だけの日程となった。12月4日(土)の夕方出発する。翌5日(日)の午前中、さっそく大掃除にかかる。
家の窓ふきを始めたが2階の窓が高すぎて途中までしか拭けなかった。来年は高い脚立を買っておかねばと思った。
 掃除をしながら、妻は生け花の稽古で制作したクリスマスリースを玄関ドアに飾る。かなり大きなリースで、本当の杉の枝や松系の緑を使ったものらしい。

 (クリスマスリース)

 ひと作業を終えて、昼食を食べに出た。渋川の近くの「やまろく」の蕎麦にしようと思ったが、今日は貸切予約で臨時休業。しかたなく、安達が原の「ふるさと村」で食事をし、午後国分さん宅に向かった。
 畑仕事の手伝いかと思ったのだが、その日は「あずまや」の風よけ用に作った「竹のすだれ」の取り付けとなった。

 
 畑には、福島大の学生や「すまいるりーす活動」をされている方たちが来ていて、お花畑の草取りをしているようだった。
  (お花畑の草取り)
他にも訪問者が数人いて、「夢未来いなか塾」の会員で国分さん宅によく来られる「渡辺さん」と初めてお会いした。渡辺さんは埼玉在住で、そちらでも畑をやっている。もともと岩代は渡辺さんの出身地なのだそうだ。ある意味この方も「二地域居住」の実践者だ。気さくな方で会ってすぐ意気投合、一緒にすだれの取り付けを行った。
 
 (すだれ用の竹)
  (侘びた感じの「あずま」やの簾) 
 高いところが苦手の私に代わって、妻が桁まで梯子で登って仕事をした。夕方まで作業をし、渡辺さんとはまた会えることを願って、美郷に戻った。帰宅途中、4号バイパスのリサイクルショップ「アメ商」で、妻の希望の洗濯機を購入。
 その日夜、薪ストーブを使い、最後に就寝間際に薪をひとつ放り込んで床に着いたところ、朝の部屋の温度は19度近かった。予想以上の暖まり方と家の保温力に驚いた。
 午前中、買い物に出かける。途中、神棚用のお札を購入しようとおもい、4号バイパス近くの氏神様「黒沼神社」に立ち寄ってみたが、留守だったので、「お札は年を越してから」ということにして、そのまま「道の駅あだち」に向かい、土産と野菜を買い込んだ。その後、コメリで納戸に付ける取りつける棚用の板を買って戻った。
 昼までに妻は残りの掃除、わたくしは棚を取り付ける。時間がないので、一つだけ作って終了した。
 昼食は昨日行き損ねた「やまろく」で、ランチセットを食べる。ここのランチセットのボリュームはかなりのもので、この日もフライと蕎麦にごはんと小鉢がつくという大盛り状態だ。食が細い人は食べきれない。妻もやっと食べた。
 次は年明けだが、今度こそ「神棚用のお札」を買わねば。せっかく作った神棚に「神様」が居なければ何の意味もない。さて来年はどうなるか。私の父方の叔母と従妹とその娘(小学校5年生)、福島に行きたいといっているので、春ごろ招待しようと思っている。
  また妻の友人も数人訪ねてくる計画もあり、ちょっと賑やかになりそうだ。

 

「次回 1月 神主さん来る!&国分さんの畑で焚火パーティー」

植木夫妻の家づくり日記 後編 「11月 竹チップ作りと友人訪問」

2011年1月15日 8:23 AM カテゴリ: 植木夫妻の家づくり日記(施工〜竣工後編)

2010年11月 竹チップ作りと友人訪問

■粉砕機が故障? 悪戦苦闘の竹チップ作り
 11月は、私の友人が2人来ることになった。以前勤めていた郵便局の同僚の安部君と横溝君だ。
横溝君は去年の夏に一度福島へ訪ねにきてくれているから、今回は2度目だ。
 二人とも20日の土曜日の午前中新幹線で福島に到着する。私たちはいつものように、18日の木曜日の夜半に横浜から福島に移動し、翌19日の金曜日の午後国分さんの畑を訪ねることにした。
 午前中は駐車場に置いてある薪を庭に移動。かなりの量があるのでけっこうきつい。国分さん宅に行く前にリサイクルショップで中古の洗濯機をちょっと下見をしてみた。妻が「やはり、洗濯機はあった方がいい」と言い出したからだ。
 国分さんの畑へ行くと、「今日は竹チップづくり」が待っていた。 

 (新しい粉砕機)

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