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植木夫妻の家づくり日記 後編 「薪置き場作りと「ふるさと宿」訪問」

2011年10月21日 8:18 PM カテゴリ: レポート from 現場

7月 薪置き場作りと「ふるさと宿」訪問

■1週間の滞在
 今回の福島は、7月27日~8月2日まで1週間もの滞在となった。
最初は、7月31日~8月2日までの3日間のみだったのだが、私が27日から1週間休みが取れ、妻も30日パートの仕事があったのだが、結局辞めてしまったので、1週間の休みが取れたからだ。
 休みが長い分、ご無沙汰していた芳賀沼製作と、福島の菅野ご夫妻宅、そして裏磐梯の「ふるさと宿」を訪ねるとい欲張りなスケジュールになった。
 最初はまず、芳賀沼製作に向かう。10時頃に針生に到着。めずらしく伸さんと話すことができた。
5月頃から仮設住宅建設でかなり忙しかったようだ。木の香りのするログの仮設は快適なのだろう。大人気だとか。同じ仮設なのに、プレハブ住宅とはえらい違いだ。
 しかも、このログ住宅は釘を使わずに木材を組んで建てているので、解体してまた組み立てられるから、終わったらゴミになるプレハブとは違って、この後貸し別荘や「クライン・ガルテン」としての活用も見込まれている。
 妻が仕事を辞めたので、時間があると話したら、伸さんから「これから避難してきた子供たちのための精神ケアのためのレクレーションなどを行う有償ボランティアの仕事もあるので、どうだろうか」という話があった。
 なんらかの形で、福島の復興に携わりたいという妻はけっこう乗り気でこの話を聞いた。
この後社長宅に挨拶に行き、社長のお母様と久しぶりに話した。またまたお土産を用意してくださり、今回は國権の大吟醸酒をいただいてしまった。このあと田島駅近くに出て、國権でさらに3本ほど酒を仕入れる。9月に行う仲間とのランニング大会での差し入れだ。
 午後は福島に向かい、災害後初めて、南福島の菅野さん夫妻のもとを訪ねた。
 少し前から体調がよくないとのことだったが、それなりにお元気そうで、震災時の話や、郵政の職場の話などいろいろ話をして、夕方失礼した。
 買い物をしながら美郷の家に到着。その日は早々に床についた。夜半激しい雨になる。この日以降、帰るまで毎日時折、激しい雨の日々となった。
 翌朝は、薪置き場作りの準備のほか、電話の取り付け、冬用のラグカーペットから夏物へ交換。コメリで薪置き場作りの材料を購入した。
 雨のせいもあるが、夏休みだというのに、子供の姿が全くない。原発による放射能の線量が高いからだ。いつもなら両隣の子どもたちが庭で遊んでいるのだが……。酷い話だ。

■原発事故と都会人の反応
 だがこういう福島の現状に対し、都会の人たちの態度は「対岸の火事」という雰囲気である。それだけでない。以前は「福島の田舎は自然が豊かで良さそうだね~。」と羨んでいたのに、今回の原発事故が起きてからは、私たちが福島に行くというと、「どうしても福島に行くの?」と、手の平を返したような冷ややかな態度だ。
 放射能被害を受けた福島を放射能で汚染されたモノのような扱いだ。
 原発がなければ、福島も地震の被害だけですんだはずだ。首都圏の電力を供している原発の事故のために、こんな目にあっているのに、その原発の電力を使っている都会の人たちの態度はあまりにも無責任な気がする。
 多分多くの都会人は、「いや、原発が福島にあるということをよく知らなかった。それに原発は安全だと言われていたから大丈夫だと思っていた。悪いのは津波対策をしなかった東電なのだ」と言い訳をするのだろう。
 しかし、知らなかったから、責任はないといえるだろうか?
  確かに東電は「原子力発電所はCO2を排出しない、クリーンで安全なエネルギーだ」とPRしてしてきた。それなら東京に原子力発電所を作ればいい。それこそ霞ヶ関や皇居付近に作ってみたらどうなだろう、しかしそうはしなかった。それは政府も原子力の専門家も「原子力発電所が危険だ」ということを認識していたからだ。
 都会の人々もその危険性にうすうす気づいていたはずだ。実際東京付近に作ろうとしたら大反対運動が起きるだろう。だから危険な原発を首都圏にに置かないようにして、それを地方におしつけた。
 しかもここ数年、「ガスよりも電気の方がCO2の排出量が少ないから、地球温暖化に優しい」という東電の宣伝文句に誘われて、オール電化がブームもあって、電力の使用量は急激の伸びてきた。
 確かに目の前で火を使うガスの方が二酸化炭素を多くだして、電気は少ないように見える。が、これは一種のごまかしで、実際はガスの熱量に相当する電力を作るには、何倍も発電しなければならない。そのため、電力需はさらに大きく跳ね上り、原発への依存度を深めえいったのだった。
 その中で起きた今回の原発事故。原発の電力を使用していない福島の人たちが放射能汚染に曝されているのに、都心では、避難の心配もないし、東京23区では停電すらない。なんか向こう岸で火事が起きていると、他人事のようなのである。
 そのくせ、食品が放射能汚染されていると知るや、ヒステリックなまで反応する。「対岸の火事」だから大丈夫だと思っていたのに、火の粉が飛んできた!といった感である。
 妻は「今までさんざん農薬まみれの野菜を食べてきて、かなりの量の農薬を体内に蓄積してしまっているのに、放射能だけに反応するのは変だね」と皮肉っている。
 「だいたい都会人の場合、作る苦労もせず、お金さえ払えばなんでも手に入ると思っているところがある。単なるモノならまだしも、自分たちの口に直接入る肉や野菜がどこで育てられているのか、よく知らないし、知ろうともしない人が大半だ。そうやって電力も食糧生産も地方に押し付けてきた。それでいて、一旦何かあると「安心・安全なモノを」と気にする。変だよ」と。
 それに「電力や食糧も供給してきた福島が放射能汚染で苦しんでいる」わけだから、その恩恵にあずかってきた都会の人間が、多少はそのリスクを一緒に背負うぐらいのことはしてもいいのに、それをしようとしない態度に、私も妻も激しい憤りを感じている。

■久しぶりの「ふるさと宿」


 今回の福島滞在では、雨が多かったので畑の仕事はほどほどしかできなかった。ただ雑草を取ることで、雑草が吸い上げた放射能が除去できればと思った。あとは棚上げになっていた「庭の薪置き場の制作」に取りかかった。物置の西側にコの字型にブロックを置いて土台を作り、そこに柱を立て、横に梁を渡す。柱の間は筋違いの木材を固定して、屋根にはポリカーネートの波型を使った。

 

 
 雨ばかりでちょっと飽きた妻から「温泉に行こう」とつつかれて、グリーンピアに行ってみた。
 また二本松市内で買い物をしている時、浪江町の高橋さんの奥さんに出会った。美郷の家に配達されていたお姉さんと甥っ子さん充ての郵便物があったので、お渡しした。いろいろ忙しそうだった。
 31日の午前中国分さん宅に寄った後、裏磐梯の「ふるさと宿」に向かった。高橋ご夫妻が変わらない笑顔で迎えてくれた。その日は、もう一組、東京からいらしたご年配夫婦のお客さんと一緒だった。


 夕飯には、国分さんの畑のアスパラも出されて、ご夫妻と高橋さんとで話が弾んだ。ご夫婦は連泊で翌朝は、雄国沼に高山植物を見に出かけられた。
 私たちは少しドライブをしながら戻った。こうしてみる限り、福島の自然は変わりなく美しいのに、原発事故ですべてを狂わされてしまった。復興まで時間はかかるだろう。
 でも、だからこそ福島を応援していきたいとも思った。

次回は「8月 薪置き場完成と、本宮の『農家民宿だんだん』を訪問」

 
 

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