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植木夫妻の家づくり日記 後編 「2月 国分さん美郷の家に来る」

2011年3月28日 11:25 AM カテゴリ: レポート from 現場

2月 国分さん美郷の家に来る

■国分さん夫婦、美郷の家を見学

1月の末、ついに新車が来た。アイドリングストップができるダイハツから発売されたばかりの「ムーヴ」だ。
発進する時、ちょっと車が飛び出すのが気になったが、高速を走っていても前のものよりも振動も少なくて、乗り心地はいい。
2月に入って国分さんに連絡をしてみたら、「夫婦で美郷の家を訪ねたいのだが……」と言われた。古民家を解体した跡地に、ゲストハウスのような小さな家を建てたいので、参考に見学したいとのことだった。
奥さんが特に、木をできるだけ使った家にしたいという要望があるようで、18日の早朝に美郷に行くと伝えると、「その午前中に訪ねます」とのこと。先月約束したスタットレスタイヤも引き取ってくれるという。
18日4時半に出発し、9時過ぎに美郷に到着。早速国分さんに電話連絡すると、10時半過ぎに奥さんとともに軽トラで訪れた。夫妻で家の中を見てまわる。奥さんは無垢材が気に入ったらしく、しきりに「ウチもできるだけ無垢板を使いたい」と言っていた。見学後は、タイヤを軽トラに積み込む。
今回は特に畑の仕事はないのだが、「今日は敷地内にあるテレビアンテナを少し移動しようとしている」と言うで、午後にお宅に伺うことにした。
昼食は「やまろくそば」で取り、道の駅で野菜を見た後は、コメリで妻が欲しがっていた「洗濯物干し」を見てみる。
国分さんの家に到着すると、以前古民家と繋がって建っていた「古い家」がすべて解体されていた。そのすぐ後ろの小山の上にアンテナがあり、それを少し移動しようとしていた。
私たち夫婦と国分さん夫婦合わせて4人で、アンテナの位置を移動する。
作業を終えた後は、国分さん夫妻は「ゲストハウス」を建てる敷地に立ち、新しい家の概要を描いてみてくれた。平屋だが、リビング部分は私たちの家のように天井高にしたいという。そこで、私は「片流れの屋根」の家を提案してみた。
以前、訪ねた東海村の河野さん宅を思い出したからだ。リビングのあるところの屋根を高くし、他の部屋の高さを低くして片流れの屋根するというものだ。
敷地の上で、ああでもないこうでもないと、家のプランを話したが、面白かったのは国分さん夫婦の意見の相違った。
奥さんは「リビングは天井は高くして、木をふんだんに使いたい」と思いれはすごいのだが、国分さんは「でも予算もあるし……」と、けっこう現実的。私たち夫婦も性格の違いから、いろいろ揉めたので、二人のやり取りを笑いながら見守った。
最後に国分さんたちの参考になればと思って、芳賀沼製作で貰った「施工した家」の写真集を送ることを約束した。
新しい家のプランで盛り上がっているうちに日が暮れてきたので、帰り支度を始める。国分さんから「アンテナ移設のお礼」にと、二本松の酒「大七」と畑のねぎをいただいて、家に戻った。

■黒沼神社の神主さんから、薪を頂くことに……
翌朝は、妻がお雛様を出して飾りだした。古いお雛様は、いくつか道具が破損したりもしているので、一部補修をしながら飾った。後になって、妻はお内裏様とお雛様を逆に置いてしまったことに気づいた。関東では向かって左がお内裏様なのだが、妻は「京都風」にお雛様を左に置いてしまった。
雛飾りを終えて、私たちは黒沼神社へ、1月に神棚に飾った「お札」を納めに向かった。神主の半沢さんが笑顔で迎えてくれて、しばらく雑談をした、半沢さんは宮司の仕事の他に家の前の畑も耕していて、その話も出た。そうすると、ふと思い出したように、私たちに「間伐した木材がおいてあるのだが、お宅の薪ストーブ用に持っていかないか」といいだし、お宅の裏に積んである木材まで案内してくれて、「いつでも積んで行ってもいい」と言ってくれた。ありがたい。おまけに、大根までもいただいた。


ひとしきり話した後は、福島市内に向かった。昨日福島市内のタウン誌で見つけた寿司屋のサービスランチを食べに行こうと決めていたからだった。その寿司屋や「鮨鉄」といって福島の東口付近・日銀の福島支店近くにある。情報誌を見てきた人が多く、店は大混雑だった。ちょっと待たされたが、味はまあまあだった。


その後は「東京インテリア」で、リビングのテーブルの下に敷くカーペットラグを見てみた。今敷いているのは、間に合わせの安いラグなので、もう少し良いしっかりしたものにしたかったからだ。今回は見るだけにして、次回に購入することにした。
その後は、昨日妻が目をつけていた「洗濯物干し」をコメリで購入、夕食の材料も買って、いったん家に戻ってから、午前中伺った黒沼神社へ薪を少し頂きに行った。残りは次回来た時に、国分さんの軽トラでも借りていくことを半沢さんと約束して家路についた。
最後の日は、夕方私が横浜で用事があったので、早く福島を出発した。

さて、次回は、いよいよ地デジテレビを入れるので、「地デジアンテナとテレビの台の製作依頼のため、芳賀沼製作にまず向かう予定」だったのだが……。

その大地震は、福島に行く予定の1週間前に起きた。妻は横浜駅の地下街で呑気に買い物をしていて、一時、地下街はパニック状態だったという。もちろん携帯はすぐにつながらなくなった。すべての交通機関がマヒ状態に陥り、妻も帰宅にかなりの時間を要したそうだが、無事に帰宅した。私は電車がストップしていたので、ジョギングで家に戻った。
自宅についてからテレビのニュースを見て、あまりの惨状に唖然とした。すぐに福島の家が気になったが、混乱して電話もつながらない。ただ、福島市内は沿岸部ほどの被害がないので、大丈夫だろうと願うだけだった……。
3日ほど経って、美郷の販売センターと連絡がついたので、問い合わせみたら分譲地内の家屋の損傷はないという。ただ水道管がやられて断水状態が続いているということだった。
とにかく家そのものの破損はないので、ほっとした。しかし、高速道も通行止め、ガソリンも不足の状態のため今月の福島行きは見送った。しばらくして伸さんや湯田工場長に連絡がついたので、聞いてみると、芳賀沼製作所の社員は施工した家の点検・修理に駆けずり回っているとのこと。芳賀沼製作の家はしっかりとしているので、被害は少ないようだが、それでも大変だろう。
今福島は、「地震と原発の爆発」で、大変な状況である。何かできることがないのか、夫婦二人で考えながら毎日を過ごしている……。
○追記:被災された方々に、お見舞い申し上げます。
私たちは横浜に居て、何もできませんが、お知り合いで避難生活を送られて大変な方がいらっしゃいましたら、美郷の家を借り住まいとして提供したいと思いますので、お申し出下さい。

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