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植木夫妻の家づくり日記 後編 「6月 梅雨(アスパラ収穫と新しい出会い)」

2010年9月20日 11:05 AM カテゴリ: ・コラム 「芳賀沼製作 社員日誌」

2010年6月 梅雨(アスパラ収穫と新しい出会い)

■濃厚・美味「有機栽培のアスパラガス」
6月末は梅雨の真っ最中だ。はたして国分さんのところで作業ができるか? ちょっと不安であった。今月はパートをしている妻が予定していた休暇をとれず、月末の金曜日からではなく、土曜・日曜・月曜に福島に行くことになった。25日金曜日の夜、横浜を出て夜半12時過ぎに松川PAに到着。土曜日なので高速料金は1400円ですんだ。

 (雑草生い茂る庭)
 翌日は梅雨の合間の晴れ。朝から庭の草刈を始める。草刈り機の混合ガソリンを前回は買ってしまったが、店の人に「ほとんどの人が自分でガソリンとオイルを混ぜている」と聞き、今日は自分で混ぜて燃料を作ってみた。
 やはり草刈り機はすごい。一日かかった草刈が半日で終ってしまった。ただ草刈り機の調子が悪く、回転数があがったままで、元に戻らない。午後国分さんのところへ行く途中、「大友農機」に寄ってみてもらうことにした。
 見てもらうと、アクセルワイヤーが外れていたようだった。すぐに直り、一安心。昼食を取ると。国分さんの畑へ向った。
 (青々としたアスパラ畑)

 犬のさくらが吠えて迎えてくれ、その声で国分さんが出てきてくれた。今日の仕事は「草取り」。
 有機栽培のアスパラ畑の草取りは大変だ。農薬を使っていないから、夏は雑草と害虫との戦いになる。その手間と重労働から、今の農業では多くの農薬を使う。実際、国分さんの近所でアスパラを栽培している農家もかなり農薬を撒いているそうだ。

 (さくらと遊ぶ)


 無農薬といえば、妻の職場のパートの女性たちから面白い話を聞いた。そこのパートの女性の大半はは50代後半~60代の年配者で、雑談で、子供の頃「虫下しを良く飲んで、飲むと便とともに回虫が出てきた」という話題が良く出るらしい。「あまり大きな回虫が何匹もでてきたからびっくりし、しばらく排便ができなくなった」という人も居て、大笑いしたそうだ。
 「回虫」なんて言っても今の40歳代以降の若い人は知らないだろう。しかし、その頃の日本の畑にはまだ「肥溜め」なるものが存在し、農薬もほとんど使われていなかった。だから野菜に回虫の卵がついていたのだ。それも高度経済成長とともに、農業も効率化され、消費者も「虫の食わない見た目のいい野菜」を求めたため、大量の農薬を使うのが当然となってしまった。
 最近は、農家では農薬による害もわかってきて、自分たちが食べる農作物には農薬を使わないらしい。多少虫食っていようと、形が悪くても別に気にしなければいいのだから。ただ規格の厳しい販売用の野菜には多くの農薬を使用する。そして消費者も「キレイな野菜」慣れてしまい、それを許してしまっている。変な話だ。
 畑の雑草を取りながら、アスパラの根本についた虫も手で取っていく。虫が少しでもかじるとアスパラは硬くなって曲がってしまうからだ。栽培を始めて2年目、まだ本格的ではないが、けっこう収穫はできる。
 国分さんはけっして物事を大仰に言わない。むしろ控えめすぎるぐらいに抑えて物を言う性質で、「野菜は生き物だから簡単に収穫できるなんて断言できない。今年、アスパラが収穫できるかどうかわからない」なんて言っていたが、取りたてのアスパラは柔らかく、有機なのでそのまままるかじりをしたところ、予想を超える「うまさ」だった。最高の贅沢である。
また国分さんの畑には「紫アスパラ」という他の生産地にはない珍しい品種がある、これは味も普通のより濃厚なのが特徴だ。

 (採れたてアスパラ)
 時間が少しあったので、さらにアヤメ畑の草取りもした。
 雑草取りの後、私たちにも取れたてのアスパラを山のように分けてくれた。大した仕事もしてないのに、悪い気がするが、ありがたくいただいた。
 最近このアスパラを「一束・100円で、ちょっと販売してみた」とのこと。横浜のスーパーでは「硬くて味の薄いアスパラ」が一束200円くらいする。有機でこれだけ美味しいアスパラが100円なら安いもんだ。せっかく取れても特に販路がないので、人にあげることが多いらしい。もったいない。そこで農作業であまりお役に立てないので、せめてこの美味しいアスパラを扱ってくれるところをと思い、「ふるさと宿」に紹介することにした。
 さくらと遊んでいたら時間が遅くなっていしまった。
 5時過ぎに国分さん宅を出て、福島に来る前に妻が連絡を取った飯野地区の高橋公重氏に会いに行った。

■Uターンで福島移住の高橋氏は、妻と「同窓生」!!

 高橋氏は福島移住者eネット知った人で、首都圏で出版関係の仕事をしていたが、あえて出身の飯野町にUターンしたという。私たち夫婦と同年代らしい。高橋氏の家は飯野の中央商店街から少し行ったところにで、かつてはたばこ屋だった古い2階建ての家屋だった。遅く訪ねたことを詫び、挨拶をすると農作業を終えて戻ってきた高橋氏の母上を紹介された。
 どうやら母と息子の二人暮らしらしい。自己紹介を受けて驚いたのは、高橋氏が妻と同じ専門学校出身だったことだった。在学していた時期も同じ頃で、教わった講師も同じ。
 妻とはひとしきりその話題で盛り上がった。それにしても世の中、こういう偶然もあるんだなと思った。
 東京では建築関係の雑誌の編集もしていて、そのせいか、私たちの美郷の家に大変興味を餅、一度見てみたいとも言ってくれた。同年代で妻と同じ学校卒。妻もかつてすてうた出版関係の仕事を経験。それで「木の家」にも興味がある。そして田舎暮らしを始めた……。
 けっこう共通点が多い。これも何かの縁かもしれない。短い時間だが、いろいろと語り、また機会があったら会って、福島からいろいろ情報発信することなども話してみたいと約束して別れた。
 帰り道、いよいよ雨が降り始めた。翌朝はしっかり雨だった。それもざーざー降り。まあ梅雨時だから仕方ない。午前中は買い物をしたりして過ごし、午後はまた、国分さん宅に向った。
 実は、国分さんは畑の前の敷地に、作業用の機械を置く「東屋」を作ろうとしていた。材料は解体した古民家の古材と、新しく切り出した杉の木と揃っているのだが、図面を作って材料を刻んだところで、地元の大工さんが「五十肩」を言い訳にぱったり来なくなってしまったのだった。
 困った国分さんを見ていて、何とかかしてあげたいと思い、二本松の渡辺仁さんに声をかけてみたのだが、忙しいらしく断られてしまった。そこで芳賀沼製作の湯田工場長に福島市近辺で知り合いの大工さんがいないか聞き、ついでにどれくらいの予算で手間が懸かるかも相談してみようと思った。そのため昨日、検討をつけるために「東屋」の設計図をコピーをするため借りていったのだった。
 そして午前中に近くのコンビにでコピーをとって、図面を国分さんにまた返しに来た。
 国分さんも雨で畑の作業はすすまないらしく、仕方なく犬のさくらと一緒に戯れて、東屋をどうするかという話を取りとめなくしてまた朝採れのアスパラを頂いて帰ることとなった。
 その後、地元でやってくれる大工さんが見つかり、梅雨明けぐらいまでには東屋はできることになった。

 (ここに東屋を作る)  (東屋用の材料)
 翌日、帰り早めに美郷を出て、川崎の「サメジマ」さんに珪藻土の残りを返しに行った。珪藻土の体験塗りにでも使ってもらおうと思ったからだ。
 吉田さんは元気そうだったが、この不況の最中、会社の方はけっこう大変なようだ。自然素材ブームとはいえ、値段の張る「珪藻土」は難しい。どうしても低価格なものに目がいってしまうのも消費者の心理だろう。
 横浜に戻ってから数日後、未来塾の田口さんと電話連絡をとり、国分さんの畑を利用していく上での問題点などを話し合った。
 田口さんは熱心だし、いろいろ企画を計画するのはいいのだが、あまり畑のことはやらない。
 作物を植えれば、簡単に収穫できるような感じでいる。有機栽培のアスパラに虫が付く話をしてもあまりピンとこないらしい。
 私と妻は「国分さん一人で畑をやっている状況では、野菜の栽培や収穫も限界がある。いくら会員を増やしても、畑の作物が出来なければ意味がない。会員の人がもっと農作業を手伝うようにしていかなければ、維持は難しいのでは」と提案したのだが。
 田口氏は「会員に畑作業は強要できない」という。だがそれでは、この「会」の意味があまりない気がする。
 田舎の活性化にはやはり「農業」が核になる必要がある。それも都会人が趣味でやっている家庭菜園程度の規模やレベルでは、活性化にはならない。ある程度の生産性のあるものでなければ。
 それには、まず「農業生産」の部分を地道に固めていく体制をとらなくては、活性化も「絵に描いた餅」になってしまう。
  私たちも協力はしたいと思うが、この点で、意見が合わない。これからも、田口氏とは意見を闘わすことになりそうだ。
 それはともかく、7月はいよいよお預けになっていた「玄関前のアプローチ部分」の工事と和室の神棚用の棚設置となる。
 7月早々、具体的に伸さんと電話で打ち合わせた。次に福島に行く時までに、工事は終っているだろうか。

次回「7月 玄関アプローチ施工と神棚用の棚設置」

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