東京都・田園調布I様邸の現場様子
田園調布I様邸のジョリパット塗り仕上げの状況です。
3階まである各階の下地のパテ塗り、ジョリパット粗面塗りが進んでいます。
左官工事が今週末まで行われる予定で、残る工事は照明器具、設備器具取り付けです。
田園調布I様邸のジョリパット塗り仕上げの状況です。
3階まである各階の下地のパテ塗り、ジョリパット粗面塗りが進んでいます。
左官工事が今週末まで行われる予定で、残る工事は照明器具、設備器具取り付けです。
先週日曜日、茨城県那珂市N様の地鎮祭が行われました。
「前日に雨が降っていたので、天候が心配でした」と施主様。
当日は、見事な晴天に恵まれ、無事に地鎮祭を終えることができて一安心されたようでした。
今週土曜日に地盤調査を控えております。
東京都・日本橋人形町、H様の店舗改装工事の現場様子です。
工事も大詰めになり、照明の取り付け、家具の搬入などを行いました。
現在、お客様と店舗看板デザインの打ち合わせをしております。12月上旬のオープンに向けて工事が進みます。
雪が降りました南会津町針生です。
寒気が入ってきたことを知り、焦りながら冬タイヤに履き替えました私です(^^)
さて、はりゅうウッド村I様邸にいってみると雪の帽子をかぶっておりました。
室内では、ユニットバス搬入とサッシ取り付けが行われいる最中でした。
ログの窓の上部は、セトリングスペースの隙間が空いております。
壁はログの重みや乾燥の具合で年々沈下してきますので、この隙間がログでは重要らしいです。
今週は大工さんの工事中心に進められる予定です。
文責 佐々木かおり
昨日に引き続き、屋根部分の木工事が進むI様邸です。
本日、化粧野地板張りを終えました。
写真のように野地板の一部に垂木が見える箇所がありますが、これは外部通気用の溝となります。
明日は断熱材入れを行い、再び垂木、野地板を貼りましてルーフィング敷きを行う予定です。
約20坪の角ログ住宅、茨城県神栖市I様邸の本日の様子です。化粧垂木取付、破風取り付けが行われました。
2重屋根構造ということで、化粧野地板貼り⇒屋根断熱材入れ⇒垂木取付⇒野地板貼り⇒ルーフィング敷きの順で、明日も引き続き作業が行われます。
田園調布I様邸では天井壁の断熱材入れ、下地入れ、石膏ボード貼りが行われています。
来週月曜日からは屋根部鉄板葺き、外壁のサイディング貼りが行われるようです。
大工さんの工事が急ピッチで進められています。
(断熱材入れ状況)
先日取り付けた、埼玉県寄居町の丸太積みY様邸のオーダーメイドの棚収納の写真になります。
キッチンスペースにぴったりサイズの棚となっており、
電子レンジ・炊飯器などを置くスペースは、熱に耐えるキッチンパネルが張り付けされています。
いよいよY様邸引き渡しになります。
'11 8月農家民宿「だんだん」を訪ねる■天候不順の夏
今年の夏は猛暑であったたが、雨も多く、私たち夫婦が福島に行った時はなぜか雨の日にあたってしまった。
8月はお盆は妻が母方の実家があった新潟に行き、福島は20日~24日に行くことになった。
19日の夜、仕事の後出発し、夜半に福島に到着した。
20日の早朝、早速、庭の草刈を始める。妻は台所脇の収納庫の食器を整理するためのスチール棚を設置し、雑貨を整理するためのファックス台を置いたり、2階の個室の窓に目隠しのための飾りを置いたりして、家の中の整理をしていた。
草刈り後は、ちょっとランニングをし、午後は国分さんの畑の草刈にせいをだしたアスパラには放射能は検出されなかったが、雑草には放射物質が付着しているので、刈った草は一か所にまとめておく。国分さんは、「とにかく草に放射能を吸わすしかないかな」とつぶやく。本当に今回の原発事故こそが、「行き場のない怒り」そのものだと思った。
21日は雨だった。畑での作業は無理だ。そこで、郡山のヨドバシカメラに行ってみた。LED電球と、腕時計を紛失してしまった妻に新しい腕時計を買ってあげた。
戻る途中、本宮の直産所に寄ってみた。それと、妻の希望で「一度は行ってみたかった県立美術館」へ足を運んだ。隣の図書館の方は震災で被害にあって、一部しか使用できなかった。夕方、雨が上がってきたので、またちょっとランニング。9月に行く「箱根の山登り」の道を走るためにも、走り込んでおかなければと思ったからだ。■農家民宿「だんだん」、石原さんを訪ねる
22日は小雨の降る朝となった。畑は無理なので薪置き場作りにせいを出す。途中で材料を買いにでることになったが、妻の思いつきもあって、本宮の農家民宿「だんだん」を訪ねた。
民宿を経営するのは石原さんという年配の女性で、以前に「夢未来塾」のイベントに参加して知り合いになった。
その時に、「そのうちいらしてください」と民宿の案内をいただいていたのだった。
4号線の本宮インターに入るあたりから東にしばらく車を走らせる。お寺の近くに農家民宿はあったのだが、ちょっと分かり辛くて探してしまった。
突然の訪問だったのに、石原さんは笑顔で出迎えてくれた。民宿は家族で経営しているらしい。首都圏の学生をよく受け入れているとのこと。放射能の問題もあって、福島に行くことに反対する父兄もあるそうだが、それも夏休みともあって多くの学生が宿泊していると、楽しそうに話してくれた。
やはり、「原発事故による作物の放射能汚染が心配だ」という話をし、またお会いすることを約束してお宅を後にした。
帰りに薪置き場に置くブロックや物置の棚の板を購入。戻ってから物置の棚をもうひとつ作り、また妻と一緒に不完全だった薪置き場を完成させた。
久しぶりに、浪江町の高橋さんに連絡を入れてみた。様子伺いということもあるが、借りていた軽トラの車検が来月になるので、どうするかということでもあった。高橋さんは長い避難生活で、だいぶイラだっている雰囲気だった。
「原発や福島の被曝状況がきちんと報道されていない。本当の事を話そうとすると圧力がかかる」と憤慨していた。
確かに、被曝した福島に対して、政府も東電も何もしない。まさに「放置状態」にある。
それだけではない。東電の批判や原発への疑問でも投げかけても、報道はされない。規制される。これでは中国のようだ。
以前、編集仕事をしていた妻も、「マスコミの端っこにいた人間として情けない。今のマスコミはどうしようもない」としきりに嘆いていた。
翌13日の午前中は、国分さんは用事があるので、私は家で薪割に励んだ。そして、薪は例の薪置き場に収めた。
午後国分さん宅におじゃまして、軽トラの車検の日を確認した後、妻の「温泉でも…」という言葉に押されて、岳温泉に行った。
岳温泉もあまり人が来ないようだ。今年の福島はとても厳しい状況にある。それを何とかしたいというのか、通りでイベントが行われていた。
翌24日午前中に、いつものように「道の駅あだたら」で野菜を買う。放射能汚染の影響もあって、最近この直売所の野菜がちょっと少ない。できるだけ、早く元に戻ってほしい。と、そう願いながら横浜に戻った。この後、国分さんはパソコンを購入したという話を聞いた。田口さんに設置をしてもらったとのこと。「でもメールなどの詳しい設定ができないので、手伝ってくれ」という連絡があった。次回はパソコンと格闘することになりそうだ。